出会いの不思議さが人生を決めていく

「誰と生きるかで人生が決まる」——以前、私はこの言葉をブログに書きました。
どんな場所に生まれ、どんな才能を持っていたとしても、最終的に人生の方向を決めるのは“人との出会い”だと、今あらためて強く感じています。
振り返ると、私の人生は「縁と運とタイミング」に恵まれてきた、不思議な出会いの連続でした。
ラグビーとの最初の出会い
小学生の頃、私は特にやりたい部活もなく、中学では何をしようか迷っていました。
父は「自分の好きなことをやればいい」と言いながらも、「ラグビーはいいと思うぞ」と、何気なく言った一言が心に残っていました。
忘れられないのが、小学6年生のお正月。親戚が集まって食事をしていたとき、テレビで地元・熊谷工業高校が全国準優勝を果たした高校ラグビー決勝戦が流れていました。
普段ラグビーを見ない家族が、みんなで夢中になって見ていた——これが、私が初めて見たラグビーの試合です。
その4月から、中学に入っても正直ラグビーをやるつもりはありませんでした。
ところが仮入部期間、ラグビー部の前をたまたま歩いていると、身長170cmあった私に怖そうな先輩が「ラグビーやってみない?」と声をかけてくれたんです。怖くて断れなかった。
でも、その一言が私の人生を決定づける“スイッチ”になりました。
“なんとなく”の積み重ねが人生になる
高校進学のときも、最初はラグビーを続ける気はありませんでした。
中学校3年生の夏、親戚のおじさんが「高校でスポーツをやるなら全国クラスがええよ!」と甲子園の高校野球を観ながら神戸弁で言っていたのを覚えてます。
結果的に強豪・行田工業高校に進学。
「普通科より工業科の方が就職に有利だろう」——その理由がメインでありました。
大学進学のときも、「海が近い」「一人部屋」「あまり強くないチーム」という条件で探して、たまたま高校の監督と同じ大学出身の先輩が監督をしていた国際武道大学を紹介してもらい、入学を決めました。
こうして振り返ると、すべてが“なんとなく”の選択だったように見えます。
でも今思えば、見えない糸で導かれていたようにも感じます。
出会う人が変われば、人生の方向も変わる。
もしかすると、私は「選んでいた」のではなく「選ばれていた」のかもしれません。
恩師との再会、そして次の出会いへ
大学院に進み、日本代表のスタッフを志すようになった頃。
私の大学の監督の後輩の方が、当時の平尾ジャパンでテクニカルディレクターを務めていた縁で、23歳のときにU19日本代表のフィットネスコーチを任されました。
そのU19代表の監督こそ、高校時代の恩師。
まさに「縁の巡り合わせ」です。
その後も代表活動を通じて出会った指導者の方々とは、国際武道大学のヘッドコーチをしていた頃に、専修大学、山梨学院大学、立正大学、国士舘大学など、それぞれの対戦チームの指導者として再会しました。
出会いが形を変え、時を超えてつながっていく——その不思議さを、何度も味わいました。
そして今へ——出会いが導いた人生
母校でのヘッドコーチを終え、新たな挑戦を考えていたとき。
U21日本代表でご一緒したコーチから、専修大学アシスタントコーチの話をいただきました。
そしてさらに、私が人生で初めてラグビーの試合を見た熊谷工業高校。
その時のキャプテンであり、後に日本代表としても活躍した堀越正己監督から、立正大学ラグビー部のS&Cコーチ就任のお話をいただきました。
こうして私の人生は、まさに「出会いの連続」で形づくられてきました。
偶然のように見えて、どこかで必然だったようにも思えます。
出会いとは、“選ぶもの”ではなく、“選ばれるもの”。
だからこそ、一つひとつの出会いを大切にしたい。
これからも、どんな出会いが待っているのか——その不思議さに感謝しながら、生きていきたいと思います。
SPORTS BAR FEEL FREEオーナー
宮﨑 善幸
