少数派で生きるキャリア

「普通」とは何でしょうか。私の考えでは、その最もシンプルな定義は「数が多いこと」です。では、少数派は「普通ではない」のか。今日はこのテーマについて考えてみたいと思います。
先日、私の大学の先輩が指導する高校生をコーチングする機会をいただきました。そのクラブには日本人の生徒だけでなく、複数の外国籍の生徒、さらに日本人の女子選手が一人在籍していました。女子の選手も男子選手に臆することなく、自分の弱さとも向き合いながらコーチングのセッションの中で大きく成長をしてくれました。外国籍の彼らもみんな一生懸命で、私が提示したテーマにも真剣に取り組んでくれました。その姿に強さを感じると同時に、日本で生活する彼らが「少数派」として歩む強さを改めて実感しました。もし自分自身が海外に出て同じ立場になったとき、果たして同じように強くいられるだろうかと自問自答しました。
私が関わっている女子ラグビーも、長い間「少数派」のスポーツでした。今でこそ環境は整いつつありますが、30年前は「女子がラグビーをやるのか?」と偏見の目を向けられることも多く、パワハラやセクハラも日常のように存在していたと聞きます。それでも「ラグビーは自由だから」「自分を表現したいから」「試合に勝ちたいから」と続けてくれた人たちがいました。その継続の力が今の女子ラグビーの礎となっています。
ここで感じるのは、少数派で生きる人たちの強さです。大多数に流されるのでもなく、大多数を否定するのでもなく、自分のやりたいことを貫く強さ。時に偏見や不理解を受け止め、時に跳ね除け、あるいは鈍感力を発揮して前へ進む。その姿勢から学べることは本当に多いと思います。
私自身、50歳を過ぎてこれからどう生きるかを考えるとき、強く思うのは「自分の信じる道を歩みたい」ということです。少数派であっても、むしろだからこそ、自分らしく進むことに価値があると感じます。
現代は多様性や個別性を受け入れる社会へと進んでいます。「みんな違って、それがいい」と言える時代です。そしてその中には、少数派の個性だけでなく、大多数の中にも確かに存在する一人ひとりの個性があります。教育者としても、コーチとしても、その埋もれがちな個性を見逃さず、輝かせられるような環境をつくりたい。それが、これから私が目指す「少数派で生きるキャリア」のかたちだと思っています。
SPORTS BAR FEEL FREEオーナー
宮﨑 善幸