最後は『許す』ならば最初から

キリスト教には「罪」と「許し」という考え方があります。
人は誰でも、知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまうことがあります。そして、傷つけられた側もまた、心のどこかで「許せない」と感じてしまう。けれども、長い時間が経って振り返ってみると、不思議なことに「まあ、仕方なかったのかもしれない」と思える自分がいます。

私自身も、人間関係の中で頭にくることや、裏切られたと感じることは少なからずあります。
しかし、年月が経つと結局は相手を許している自分に気づきます。そう考えると、最初から「許す」ことができれば、きっと心はもっと穏やかに、優しく生きられるのだと思います。
もちろん簡単なことではありません。人間だからこそ感情がありますし、理不尽なことに怒りを覚えるのは自然なことです。でも、最終的に「許し」にたどり着くのなら、その道の途中で苦しむより、最初から少しでも相手を受け入れる心を持てたら、人としてより豊かに生きられるのではないか。最近、そんなふうに思うようになりました。

コーチという仕事をしていると、選手との関係性の中にも同じようなことを感じます。
選手は決してコーチの思い通りには動きません。信頼しているからこそ、その通りにいかない現実に戸惑うこともあります。思うように成果が出ず、焦りや苛立ちを感じることもあります。けれど、時間が経つと、その選手なりの努力や葛藤に気づき、「あの時はあの時で精一杯だったんだな」と感じる瞬間があるのです。

指導者とは、選手を評価する立場であると同時に、人として選手の成長を信じ続ける存在でもあります。だからこそ、「許す」ことは指導の根幹にあるのだと思います。選手の失敗や反抗をすぐに裁くのではなく、その奥にある気持ちや背景に耳を傾ける。相手を責めるより、理解しようとする。そうした姿勢が、信頼関係を生み、チームを強くしていくのだと感じています。

結局、「許し」という行為は、相手のためではなく、自分自身のためでもあります。
許すことで、自分の心が軽くなり、前を向く力が湧いてくる。どんなに強く見える人でも、心の中にわだかまりを抱えたままでは本当の意味で成長できません。だからこそ、「最後に許す」ではなく、「最初から許す」生き方を目指したい。

人は完璧ではありません。だからこそ、失敗し、学び、支え合いながら生きていく。
それが人間らしく生きるということなのだと思います。
今日もまた、コーチとして、人として、誰かを「許す」練習をしていきたいと思います。

SPORTS BAR FEEL FREEオーナー

宮﨑 善幸

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