行間を読む、余白を大切にするということ

本を読むとき、私たちは単に文字を追うだけではなく、「行間を読む」ことが求められます。その行間には、著者の思い、背景、そして読み手自身の感性によって立ち上がる無数の意味が潜んでいます。そして同じように、美しいデザインには適度な「余白」が存在します。すべてを詰め込まず、あえて空けられた空間があるからこそ、見た目に洗練された印象を与え、見る人に安心感や豊かさを届けてくれます。

この「行間」や「余白」という考え方は、実は私たちの生活や人生にも深くつながっているのではないでしょうか。

たとえば、コーチングの現場でもそれは顕著に表れます。選手に対して、すべてを言葉で伝えることが最善とは限りません。時には言葉を飲み込み、沈黙を共有し、その中から選手が自ら何かを感じ、気づく瞬間を待つことが必要です。「こうすればいい」「こうしなさい」と全てを教えることが指導ではなく、むしろ言葉にしきれない部分をどう伝えるか、そこにこそ指導者としての力量が問われると私は感じています。

選手の些細な表情、姿勢の変化、練習後のため息。その一つひとつに目を向け、表に出てこない“行間”を読み取ることで、本音や本当の課題が見えてくることがあります。逆に、表面だけを見て評価し、言葉で押しつけてしまえば、選手は自ら考えることをやめ、指示待ちの存在になってしまうでしょう。

また、「余白」を持つというのは、時間にも当てはまります。練習や試合後の何気ない時間、ロッカールームでの雑談、帰り道の沈黙。そうした“余白の時間”の中で、選手との信頼関係が築かれたり、大きな気づきが生まれたりするものです。予定を詰め込み、効率ばかりを追い求めていては、そのような豊かな時間は生まれません。

これは、私たちの人生にも通じる話だと思います。忙しさに追われ、全てを「見える化」「言語化」しようとする現代の風潮の中で、あえて「わからないこと」「言葉にしきれないもの」と向き合う姿勢が必要ではないでしょうか。家族との会話の中にある沈黙、友人と過ごす無言のひととき、旅先で感じる空気感。それらの中にこそ、本当に大切なものが潜んでいるように思うのです。

コーチとして、そして一人の人間として、「行間を読む」「余白を尊ぶ」という感覚を大切にしていきたいと思います。見えるものだけでなく、見えないものを感じ取り、語られないものの奥にある想いを想像する。その積み重ねが、人との信頼を深め、豊かな人生を築いていくのだと信じています。

SPORTS BAR FEEL FREEオーナー

宮﨑 善幸

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