転機で気づいた自分の新たな可能性

私が大学教員という道を歩み始めたのは45歳のときでした。それまでの私は、ラグビーのプロコーチを中心に、専門学校の講師やチームのサポートなど複数の仕事を兼任してきました。どちらかというと「現場」での活動を主軸にし、自分が大学で教員として働くことを強く志していたわけではありません。むしろ、自分が大学という教育と研究の場でフルタイムの教員になることなど想像もしていなかったのです。

その転機が訪れたのは44歳のときでした。当時、私がプロコーチとして勤務していた大学で新しい学部を創設する構想が進められており、教職員であれば誰でも自由に提案ができる機会が与えられました。私はそこで、自分がこれまで培ってきた経験や、大学に新しい学部ができることでどのような可能性が広がるのかを、提案書という形にまとめました。そしてそれをメールで提出しました。

この提案書を目に留めてくださったのが当時の学長でした。学長から直接声をかけていただき、新学部創設に合わせて教員として加わらないかと誘われたことが、私が大学教員というキャリアを選択するきっかけとなりました。正直に言えば、自分の提案が大学の未来を考える議論に役立つだろうとは思っていましたが、それが自らの人生を大きく方向転換させるとは全く予想していませんでした。

フルタイムの大学教員になると決めたとき、私の中に新たな可能性が開けました。それは「大学を基盤にしながら、これまで積み重ねてきた活動をさらに発展させることができる」という気づきです。具体的には三つの柱があります。

一つ目は、ラグビーの仕事をこれまで以上に広げられるということです。大学教員として教育に携わることで、競技現場で得てきた知見を体系的に整理し、学生や社会に発信していくことができます。単なる経験談ではなく、学問的な裏付けを持った形で伝えることができるようになったのは大きな変化でした。

二つ目は、指導者養成に本格的に取り組めるようになったことです。これまでも若いコーチや選手を指導する機会はありましたが、大学という教育機関に属することで、継続的かつ体系的に人材育成に関われるようになりました。未来の指導者たちが、理論と実践の両面から学び、社会で活躍していく姿を思い描くと、大きなやりがいを感じます。

三つ目は、研究活動を通じて自分の仕事を深められるということです。現場での経験をその場限りで終わらせるのではなく、データや事例として積み上げ、学問的に検証することによって、より多くの人の学びや実践につなげていける。この学問のサイクルが、私にとって新鮮であり、大きな挑戦となっています。

さらに、今の大学は兼業を認めてくれる環境であったことも大きな要素です。その柔軟性のおかげで、私は「FEEL FREE」という新しい場を立ち上げることができました。ラグビーやスポーツの現場での経験をもとに、人々が気軽に集い、つながり、学べる空間を形にできたのは、大学教員としての立場と兼業可能な環境があったからこそです。

このように振り返ってみると、大学教員になることは私にとって単なる職業の転換ではなく、自分の中に眠っていた可能性を引き出すきっかけでした。最初から計画していた道ではありませんでしたが、与えられたチャンスに挑戦したことで、新しい景色が広がったのです。

人生の転機は、往々にして自分の思い描いたシナリオ通りには訪れません。しかし、そのときに一歩踏み出す勇気を持てば、想像もしていなかった未来が開ける。大学教員としての歩みを始めてからの数年間で、私はそのことを強く実感しています。そしてこれからも、この新しい可能性を大切に育てていきたいと思っています。

SPORTS BAR FEEL FREEオーナー

宮﨑 善幸


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