自由とは責任を持つことで得られるもの

「自由にやりたいです。」
これは、体育会系の運動部に所属する学生アスリートからよく耳にする言葉です。練習時間、服装、言葉遣い、生活態度──あらゆる面に規律が求められる環境に身を置いていると、「もっと自由に過ごしたい」という気持ちになるのは自然なことかもしれません。
しかし、私はいつもこう考えます。
「自由を求めるなら、まずは責任を果たすことが必要である。」
自由という言葉は、一見すると“何でも自分の思うようにできる状態”を指しているように感じます。けれども、本当の意味での自由とは、「自分の行動や選択に対して自分で責任を負える状態」であると、私は考えています。
つまり、自由の前提は“自立”です。
ルールがないことが自由だと誤解している人も少なくありません。しかし、実際には、ルールのない社会というものは存在しません。国家にも、学校にも、家庭にも、そしてスポーツチームにも、必ず何らかのルールや約束事が存在しています。それは決して誰かを縛るためではなく、みんなが安心して生きるための共通の枠組みなのです。
自由とは、そのルールの中で、自分の意思で選び、自分の責任で行動することができる状態のことです。そして、その行動によって生じた結果──良いことも悪いことも──すべて自分で引き受ける覚悟があってこそ、自由を語る資格が生まれるのだと思います。
スポーツの現場で言えば、練習をさぼることも、意図的にルールを破ることも“自由”ではありません。それは単なる無責任な行為です。自らの判断で行動し、その結果をチームメイトや指導者、そして自分自身にどう返すのか。そこまでを考えてこそ、本当の意味での自由な選択ができるようになるのです。
自由とは、与えられるものではなく、自ら勝ち取るものです。そしてその代償として、常に「責任」という言葉がセットでついてきます。責任を持つことを避けていては、いつまで経っても自由は手に入りません。
言い換えれば、責任を引き受ける覚悟を持てた瞬間から、人は本当の意味で自由を感じることができるのです。ルールを理解し、他者を尊重し、自分の言動に責任を持つ。そうした姿勢が、自立した個人をつくり、結果的にその人の人生に自由をもたらすのだと思います。
「自由に生きる」という言葉は、決して軽いものではありません。だからこそ、目指す価値があるのです。
SPORTS BAR FEEL FREEオーナー
宮﨑 善幸