尊敬とは何か?

「尊敬」という言葉を辞書で引くと、「相手の人格や行為を価値あるものと認め、敬い慕うこと」とあります。つまり、相手を自分より上に置き、その存在や姿勢を認めることが尊敬の基本的な定義です。

ただし、尊敬という言葉を聞くと、多くの人は「目上の人に対して抱くもの」「優れた能力を持つ人に向けられるもの」といった印象を持つかもしれません。もちろん、経験や能力に秀でた人に対して尊敬の念を抱くことは自然なことです。しかし、私がこれまでスポーツの現場で出会ってきた人々から学んだのは、それ以上に広く深い意味を持つ尊敬の姿勢でした。

私が強く尊敬を感じたのは、一流と呼ばれる選手やコーチ、そしてチームの人々と接したときです。彼らは試合中には全力で戦い、激しいぶつかり合いを見せます。けれども試合が終わった後には、互いを認め合い、相手に対する敬意を惜しみなく示す。その姿勢に触れたとき、私は「これこそが真の尊敬なのだ」と強く感じました。戦いの後に相手を称えることができるのは、勝敗を超えて人間として対等に向き合っている証拠だからです。

また、一流コーチとの出会いも私に大きな学びを与えてくれました。私が若い頃、まだ経験も浅く未熟な質問を投げかけたとき、彼らは決して馬鹿にすることなく、真剣に耳を傾け、丁寧に答えてくれました。そこには「自分の立場を誇示する態度」は一切なく、同じ人間として真摯に向き合う姿勢がありました。その姿は、能力や実績を超えた「人としての尊敬」を感じさせるものでした。

こうした体験は海外でも同様でした。国や文化が違っても、尊敬を示す姿勢は共通して存在します。国境を越えても、人と人との関係を築く上で「相手を対等に見る」「相手を認める」という尊敬のあり方は変わらないのです。むしろ、異なる背景を持つからこそ、相手を敬い合うことで初めて信頼関係が築かれることを実感しました。

私にとって尊敬とは、「誰かが優れているから敬う」ことにとどまりません。相手を一人の人間として認め、対等に接することそのものが尊敬の出発点だと感じます。尊敬の心を持つことで、自分もまた謙虚に学び続ける姿勢を保つことができます。そして、その積み重ねが人としての成長にもつながるのだと思います。

「尊敬とは何か?」と問われれば、私はこう答えたいと思います。
――尊敬とは、相手の立場や能力に関わらず、人として同じ目線で認め合う姿勢である、と。

コーチや先生、先輩や父親といった立場にある人は、決して「偉い存在」ではありません。人は皆、立場や役割の違いこそあれ、全てが平等な存在です。その平等の中で互いを認め合う姿勢こそが、真の尊敬を形作るのだと思います。

尊敬の心を持つことで、人は謙虚に学び続けることができ、相手との関係はより深く豊かになります。だからこそ、私たちは日常のあらゆる場面で「相手を認め、敬う」姿勢を大切にしていきたいと思います。

SPORTS BAR FEEL FREEオーナー

宮﨑 善幸

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