1-0-3 孤立する選手・指導者・学生たち

現代は、インターネットの普及によって、いつでも、どこでも、誰とでもつながることができる時代になりました。
一人一台のスマートフォンを持つことが当たり前となり、オンラインでの会話や情報交換は、日常の一部として定着しています。

教育の分野に目を向けると、双方向で意見を交わす「アクティブラーニング」の重要性が高まり続けています。
知識を一方的に受け取る学びから、人と人が関わり合いながら学ぶ学びへ。
教育の方向性そのものは、間違いなく「人と人がつながる社会」を目指しています。

しかし一方で、常にスマートフォンと向き合い続けてきた世代は、対面での対話を苦手とする側面も抱えています。

私は大学の授業で、コミュニケーションの重要性をテーマにした講義を担当しています。
その中でグループディスカッションを行うと、「話すこと」そのものに大きなエネルギーを必要とする学生が少なからず存在することを感じます。
だからといって、「対話が大切だから」という理由で、無理に対面で話すことを強制することはできないとも感じています。

対話とは、単なる会話の技術ではありません。
対話は、信頼関係の中で初めて成立するものです。
そして、その信頼の度合いは、人によって大きく異なります。

哲学者・鷲田清一氏は、著書
孤独と不安のレッスン
の中で、現代社会における孤独を、単なる「ひとりでいる状態」ではなく、関係性の中で生まれる感情として捉えています。
人とつながっているはずなのに、満たされない。
その感覚こそが、現代の孤独の本質なのかもしれません。

この視点は、スポーツの世界にもそのまま当てはまります。

勝ち負けを争うハイパフォーマンススポーツの現場では、コーチは少なからず孤独と向き合う局面を経験します。
勝つことへのプレッシャー、選手との関係性、自身のコーチングやフィロソフィーとの対話。
それらすべてを引き受けながら、最終判断を下す立場にあるコーチは、常に孤独と隣り合わせです。

特にヘッドコーチは、
「誰にも本音を見せられない孤独」を抱え続ける存在だとも言われます。

そして、それは選手も同じです。

常に競争の中に身を置き、自分のパフォーマンスと向き合い続ける選手たち。
結果が出ない時、立場を失いかけた時、引退が現実味を帯びてきた時。
その過程で、選手もまた深い孤独を感じます。

つながっているはずなのに、孤独を感じる。
支え合っているはずなのに、不安になる。

孤独は、特別な人だけが感じるものではありません。
学生も、選手も、指導者も、それぞれの立場で、誰にも見えない場所で孤独と向き合っています。

では、私たちはこの孤独と、どのように向き合えばよいのでしょうか。

孤独をなくすことはできないかもしれません。
「一人じゃない」と言葉で励ますだけでは、届かない場面もあります。

私が大切だと感じているのは、
孤独を抱えたままでも、その人が“そのままでいられる関係性”が、どこかに一つでもあることです。

私は、その役割を担う存在こそが、
**メンター(Mentor)**なのではないかと考えています。

メンタリングとは、答えを与えることではありません。
正解に導くことでも、相手を変えようとする関わりでもありません。

評価せずに話を聴くこと。
急がせずに待つこと。
結論を奪わず、問いを残すこと。

その関わりの中で、人は少しずつ、自分自身と向き合う力を取り戻していきます。

孤立している人ほど、
本当は「誰かに頼りたい」と思っています。
けれど、頼り方がわからない。
弱さを見せていい場所を知らない。

だからこそメンタリングは、
孤独を消すための技術ではなく、
孤独と共に生きる力を育てる関係性なのだと思います。

SPORTS BAR FEEL FREEオーナー

宮﨑 善幸

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