2-3-12 手を放すことも、支援である

誰かを大切に思うほど、自分の目が届くところに置いておきたいという気持ちが生まれます。

スポーツの指導者であれば、自分が育ててきた選手をこれからも指導したい。教師であれば、卒業後も教え子の成長に関わりたい。親であれば、子どもが困らないように先回りして支えてあげたい。職場でも、時間をかけて育てた部下や後輩を、自分のチームに置いておきたいと思うことがあるでしょう。

それは相手を大切に思っているからこその、自然な感情です。

しかし、自分のもとに置き続けることが、本当に相手の成長につながるとは限りません。支えているつもりが、いつの間にか相手の新しい出会いや挑戦の機会を奪ってしまうこともあります。

人は、多様な価値観に触れることで、自分自身の考え方を形づくっていきます。一人の指導者、一人の教師、一つの組織、一つの環境だけで学び続けていると、そこで教えられた方法や価値観が、唯一の正解になりやすくなります。

一方で、異なる考えを持つ人と出会い、これまでとは違う方法を経験すると、「この考え方は自分に合っている」「ここは少し違う」「自分ならこうしたい」と考えられるようになります。さまざまな価値観を比較しながら、自分なりの判断軸をつくっていくのです。

日本には、「守破離」という成長の考え方があります。茶道や武道、芸道などで大切にされてきた言葉です。

最初の「守」は、教えられた型を忠実に守る段階です。基本を繰り返し、師の教えを素直に受け入れ、成長の土台をつくります。スポーツでいえば、基本姿勢や動作を身につけ、まずは教えられたとおりに実践する時期です。

次の「破」は、身につけた型を土台にしながら、ほかの考え方や方法を取り入れる段階です。異なる指導者から学んだり、新しい環境に身を置いたりすることで、それまでの教えを客観的に見つめ直します。型を壊すのではなく、その意味を理解したうえで、自分に合う形へ発展させていくのです。

最後の「離」は、これまでの教えや型から離れ、自分自身の道をつくる段階です。師の教えを忘れるのではありません。学んだことを自分の中に根づかせ、自分で考え、判断し、行動できるようになることです。

例えば、長い間同じ指導者のもとで学んできた選手が、別のチームや海外の環境に挑戦したいと申し出たとします。指導者には寂しさや不安があるかもしれません。それでも、本人の可能性を信じて送り出すことができれば、選手は新しい考え方に触れ、自分の強みや課題を見つめ直すことができます。やがて、その選手が自分なりの競技観を持ち、次の世代を育てる存在になるかもしれません。

これは、親子の関係にも共通します。幼い頃は手をつなぎ、危険から守ることが必要です。しかし、成長しても手を握り続けていれば、子どもは自分で道を選ぶことができません。どこかの段階で親が手を放し、子どもも親のもとから一歩を踏み出す必要があります。

手を放すことは、見捨てることではありません。関心を失うことでも、関係を終わらせることでもありません。必要なときに戻れる場所でありながら、相手の選択に任せ、少し離れたところから見守ることです。

支援の目的は、相手を自分に依存させることではなく、自分がいなくても歩いていける力を育てることにあります。教え続けることだけが支援ではありません。任せること、送り出すこと、そして手を放すことも、大切な支援です。

本当の意味で相手の自立を願うなら、いつか必ず「自分の手を離れるタイミング」が訪れます。そのとき、「まだ自分が必要だ」と引き止めるのか、「あなたなら大丈夫」と信じて送り出すのか。

相手の成長を心から願うからこそ、私たちは手を放す勇気を持つ必要があるのです。

SPORTS BAR FEEL FREEオーナー

宮﨑 善幸

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